お盆月です

令和元年8月1日

暑中お見舞い申し上げます。
 皆さん、「幽霊」を怖いと思いますか?お盆も近づきましたので今回は、幽霊のお話をさせていただきます。

 文永11年(1274年)、身延山に入られた日蓮大聖人は、近辺の里に法を説いて回られました。「石和(いさわ)」の里で宿を借りられたある晩のこと、大聖人は宿の主からこんな事を言われました。
「自分は鵜飼を業としている勘作と言う者です。病気の母の薬代を稼ぐため、殺生禁断とされている石和川(現在の笛吹川)で漁をしたために役人に捕えられ、川に投げ込まれて殺されました。すでに身寄りもなく、供養を受けられず苦しんでおります。どうぞ有難いお経をお聞かせ下さい」
 そこで、大聖人は夜もすがら読経をなされて明け方、一陣の風が吹きました。気づかれますと、あたりは一面草野原。宿主の姿も家もなく、足元には野ざらしの髑髏が一個転がってありました。大聖人はその髑髏を手厚く葬られ、又、小石に一文字ずつ御経を記されて、石和川に投げ入れました。こうして弔われたので、成仏する事が出来たのです。
 この縁起により、日蓮宗の霊跡寺院として「鵜飼山遠妙寺」が建立され、又、「鵜飼勘作」のお話は後世に能や講談に取り入れられました。

 幽霊は、怖いものではありません。恐ろしげな「幽霊図」が幾つも残されていますが、あの姿は、恨みの心を表したものと私は思っております。

 又、幽霊の見える人と見えない人がいます。私はそれをテレビに譬え、人によって幽霊の見えるチャンネルを持っている人と持っていない人がいるのではと話しております。


 次に、私が会った幽霊の中の一つをお話致します。

 かれこれ50年程前の事、私はG県T寺の夜の寒修行に 伝円山応挙「幽霊図」  参加させていただきました。
 街中を撃鼓行脚で巡った其の夜、T寺で何度かお会いしているK小父さんの牛乳店に参りました。明かりの点いた店の前では、K小父さんと息子、そして、娘さんらしい人が合掌して迎えてくれました。
 寺に戻ってから、一緒にまわった法友に
「牛乳屋の小父さんの家に若い女の人がいたけれど、娘さんなの」
と聞くと、
「何言ってるんだい。女の人なんかいなかったよ。あそこの娘は此の間急死したばかりだよ。そういえば今日あたり、四十九日かもしれないな」        渓斉英泉「幽霊図」
と言うのです。
 私には、紫のメリンス地に赤い紅葉の柄の着物を着た女の人が確かに見えたのです。しかし、考えて見ると夜、逆光の状態で、あんなに判っきり着物の柄まで見えるのは不思議です。話を聞いて、あの女の人は幽霊だったとわかりました。

 お盆が参ります。御先祖様が帰られます。数知れない御先祖様の中には、若しや成仏なさっていない方もいらっしゃるかもしれません。いつの昔から命をいただいたか分らない私達です。先祖様を敬い、無縁の霊を慰めるこの風習を次世代へ継ぐ事を、もう一度深く考えなければならぬと私は考えております。


















当教会で制作した日蓮大聖人一代絵巻の「鵜飼勘作」の場面です。

2019年08月01日