天国は家族の心の中にある

令和元年11月1日

中野浄蓮

 毎日新聞に、静岡がんセンター総長を務める山口建先生のお話が掲載されていました。
 記事の中で山口先生は、最後を迎える患者が自分の死を受け入れ、周囲の人々に感謝を伝えられるようになるには、医師たちのケアだけでなく患者自身の性格も影響する事、そして、家族や友人が大切な人の死を受け入れる迄には長い時間がかかる事を語っていました。
「出来るだけ苦しまずに最後まで穏やかな日を過し、死を迎えさせてあげたい」
 そう思えるようになり、そしてそれを実現できた場合に、残された人々は死を認め、受け入れられるのだろう、と先生は語ります。
 長い間多くの患者をみとってきた山口先生は、時に映画の様に死者が「あの世」から「此の世」に舞い戻るように思うことがあるそうです。それは、残された人々の心の中に現れる個人が、亡きがらとしてではなく、楽しげに笑い、怒り、そして遺族や親しい人々を見守っている、と身近に感じるようになった場合だと言います。
「亡くなった人々にとっての天国は、その人を思い続ける家族や友人の心の中にあるのだと思います」
 山口先生のこの言葉が、私の心の中に強く残りました。

 又、脚本家の三谷幸喜氏は以前
「人は2度死ぬのだ。1度目は肉体が無くなった時であり、2度目は残った人の心の中から個人が忘れ去られた時」
と語っていました。

 私は去る令和元年8月21日早朝、当教会副担任 理正院日顕上人(中野広敏、浄蓮の次男)に先立たれました。
 其の夜、夢か幻か、広敏が私の前に立っていました。
「何だお前、生きてるじゃあないの」
と声をかけると、一寸微笑んで消えました。
 次の日、又、広敏は来ました。私が忙しく書類を書いたり、原稿用紙を部屋一杯散らかしていると、それ等の用紙を拾い集めて片付けてくれていました。
 第3夜、中野一族で何処か温泉にでも行ったのでしょう。浴衣の胸をはだけて胡座(あぐら)をかいて皆の真中に座り、広敏は手を広げて笑っています。
 亡くなって後、3夜続けて彼は私の前に現れました。

 

 令和元年10月9日、
上人の本葬儀は厳修されました。
 今、私の胸の中に次男は生きております。笑ったり怒ったり、愚痴を言いあったりしています。私は次男は、
「私と一緒に生きつづける」
と思っているのです。











 本葬儀当日は、
 次男の為に
 たくさんの方々が
 供花をくださいました。

2019年11月01日