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令和元年12月1日
中野浄蓮
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昭和48(1973)年4月、定年退職をむかえた夫が故郷へ帰りたがったために此の行田市へ居を構える事となりました。行田へ越して来ると私は夫に願い、一間を御宝前に改装しました。そして、恩師渡辺錬定上人より教えられた「地涌題目奉唱」の修行をしていました。
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此の頃、母亡き後の妙法正顕結社を継いでいた姉妙真は、同年9月1日より篤信位修行の為、身延山へ行く事を定めました。そして出かける前に、私にこう言いました。
「Yという信徒がいる。Y氏は心臓病で祈祷に通って来ている。私が留守になる間、唱題をしてあげて欲しい」
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その後、Y氏は1度私の所へ来ました。私は姉に頼まれた事もあり、Y氏が来ない時でも彼の病気平癒を願って1人御宝前で一生懸命にお題目を唱えていました。
昭和56(1981)年、道場落慶の時の写真です。
上の2枚は地鎮をしているところです。
そして9月10日。此の日は日曜日でした。
「Y氏の症状が思わしくないので来て下さい」
と、車で迎えが来たのです。車中、
「医者に話したのですか」
と聞くと、
「昨日医者に話して薬を変えてもらったばかりなので、今日は日曜であるし悪いと思って話してない」
との事でした。
Y家に着くと、私は早速に床に就いているY氏の傍でひたすらお題目を唱えました。1時間以上唱えていたと思います。そのうちに、Y氏は起き上がりました。
「先生、もういいよ、わかったよ。俺は風呂に入る」
そう言って風呂に入ったのです。
風呂から出ると、Y氏は再び床に就きました。少しの間静かでしたが、やがて、様子がおかしいので医者を呼ぶよう家の人に話しました。けれど医者が来た時はもう息をしていませんでした。医者は死亡を確認し、すぐ帰りました。
其の後、家族の方と共に見たY氏の身体中には3糎(センチ)位の丸い斑点がありました。
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平成5(1993)年、宝塔・客殿建立の際の写真です。
それから数日が過ぎた頃、私の耳に姉の信徒たちの言葉が入って来ました。
「中野さんがついていながら、Y氏を死なせてしまった。うちの先生も『私がいたらY氏を死なせなかった』と言っている」
若かった私は、それを聞いて憤り、口惜しがり、転げまわって泣きました。そして思いました。
「私はY氏の病気の快癒を祈り、精一杯のお題目を唱えたのだ。お題目を唱え祈れば、願い事は叶うと思っていた。それなのにY氏は亡くなってしまい、私は悪口を言われている。お題目って嘘つきだ。もう、あんな嘘つきのお題目など唱えるものか」
そう思いながら御宝前の前に座っていたのでした。そうしてどの位経ったか覚えていません。気が付くと
「南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経……」
と声が出ているのです。どの位唱えたか、それも覚えていません。
ただ、わかったのは、私はお題目から離れる事は出来ないのだ。お題目は私の生命である、ということでした。
今思い返せば、あまりにも幼い信心でした。しかし、あの辛かったY氏との事がなかったら、91才を過ぎた今もお題目を唱え続けている事は出来なかったと思うのです。
歳末を迎え改めて越し方を振り返り、命をかけて法を教えてくださったY氏に心から感謝することの出来る私になったのだ、と気付きました。
平成14(2002)年、墓地・霊山塔建立の時の写真です。
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